福岡高等裁判所 昭和29年(く)37号 決定 1954年12月15日
本籍 福岡市字○○通り○丁目○番地
住居 福岡市大字○○○番地
少年 鮮魚商手伝山岸一雄(仮名)
昭和十年一月二十八日生
抗告人 親権者父
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の要旨は
少年の実父である抗告人は少年を唯一の頼りとなる男子として深き愛情を以て教育を施し来り、又少年の長姉節は昭和二十二年十月母死亡後之に代り少年の観護補導に専念し来り、少年も亦熱心に家業に従事し真面目に抗告人の手伝をして来たのである。ところが不図したことから少年は覚せい剤の味を覚え遂にその中毒となり少年の不良化を招き本件非行を犯すに至つたのである。然し乍ら少年にして若し覚せい剤の使用だにしなければ狂暴性も犯罪の危険性もなく、智能において通常人に劣るところありと雖誠に善良な少年として抗告人の家業を手伝い非離すべき点はないのである。しかも一方抗告人は齢既に六十二年の老人のみならず肝臟炎の持病があり寒気加われば発病して臥床し家業に従事し得ざるに至るは明らかであつて、若し少年が特別少年院に送られ抗告人の手より奪われんか、病弱な抗告人とか弱い長姉を以てしては到底家業の経営維持はおぼつかなく廃業の已む無きに至り遂には生活困窮を招くは必定である。かくては仮に特別少年院において矯正の実を挙げ帰来しても既に遅く少年を迎うべき家もなく却つて少年をして悪の道に走らしむる虞れなきを保し難い。少年は同行以来收容されて社会と隔離され覚せい剤の使用を禁止さるゝこと既に久しく今や通常の体質に復帰せるものと思われるから、今一度保護観察に附し厳格にして温情ある抗告人と姉の保護監督の下に覚せい剤の使用禁止を持続せしむると共に家業に従事せしむれば、少年の性格矯正の目的を達すると同時に家業の繁栄を来し益々少年をして進歩向上せしむる所以である。しかも少年は今回の同行收容により深く前非を悔い将来の更生を誓つており、抗告人も亦少年の保護矯正に一路邁進する堅い決意を有するものである。従つて少年に対しては抗告人の許において矯正の実を挙ぐるが最も適当と思われるのに、原決定が之をなさずして少年を特別少年院に送致したのは著しく不当な処分と思われるからこれを取消し保護観察に附する処分をして戴きたく本件抗告に及んだ次第であると謂うのである。
そこで少年保護事件記録と少年調査記録を精査すると、少年は生来智能低く意思薄弱で抗告人の盲愛と放任的態度の許に育てられ、小学校時代は欠席多く学業も亦振わず中学も一年で退学し家業に従事して来たのである。ところが昭和二十二年十月実母が死亡するや長姉節において母代りとしてよく少年の面倒を見守つて来たものゝ矢張り母亡き後は、家庭の安定感と温情が消失し、これがため少年は漸次不良化の傾向を辿るに至り昭和二十八年四月頃からは不良と交りパチンコ遊やヒロポン注射をなし、同年六月ヒロポン中毒治療のため福岡市内聖福病院に二十日入院して退院したが、再びヒロポン注射を初め遂にこれが代金に窮し自己の衣類や自転車を入質し、昭和二十九年一月よりは愈々怠業甚だしくパチンコ遊に耽るに至り原決定説示の如く同年二月十五日パチンコ玉八十個を窃取して家庭裁判所に送致され同年五月十日試験観察に附されて覚せい剤の使用禁止を誓つたのである。かくて少年は一時真面目に家業に従事するかに見えたが、同年七月再び近隣の不良と交友し覚せい剤の使用を初め、試験観察中なるにも拘らず同年九月遂にその代金に窮した結果原決定の通り前後七回に亘り単独或は不良仲間と共謀の上、三桝勇造外三名から合計二千八百円を喝取するに至つたのである。一方前記試験観察に附される際少年の長姉節は観察中毎月二回少年の状況を報告することを命ぜられ乍ら之をなさず、抗告人も亦少年に対する保護監督に欠くるところがあつたのである。以上の如き経緯に照し少年の性行を鑑みるに少年の不良化、覚せい剤中毒症は急速に悪化の傾向を辿つていることが窺われ今にして強力な措置を講じ少年の覚せい剤中毒症と怠惰性を根絶し性格矯正の実を挙ぐるに非されば遂に済度し難い非運を招来するに至るは極めて明らかである。然るに少年の家庭を観るに斯る保護矯正の目的を達するに果して適切な所であろうか。なるほど抗告人は少年の父として少年に対する愛情は人後に落ちないものがあろう。けれども既に今日の如き事態に立至つた少年を正道に引き戻し、その薄弱な性格を矯正するには深き愛情もさること乍ら、更に徹底せる教育と強力な指導及び厳正なる訓練なくては到底望み得べくもない。然るに過去十数年来少年に対する放任的愛情に慣れ来つた抗告人に対し、今直に斯る冷厳にして強力なる措置を期待することは遺憾ながら望み得ない。又少年の実姉にしても、さきになされた試験観察の際命ぜられた条件すら履行しない程であるから、これ又抗告人と同様少年の適正なる補導は望み難い。 のみならず少年の家庭の周囲には今尚不良仲間がおるものゝ如くであるから、いつ如何なる機会に少年をして悪の道に誘惑するか図り難いのである。尤も抗告人に肝臟炎の持病があり冬期起り易く家業に少年の手伝を得られないことは、抗告人にとつて忍び難いものがあるかも知れない。然し乍らさればと云つて、家業の為に少年の保護を犠牲にせんか少年の社会復帰を不能にし、悔を将来に残すこと必定である。かくて歩一歩悪の深渕に転落しつゝある少年に対し瞬時も早く性格矯正の実を挙ぐるには、現在の不良交友と覚せい剤使用の環境から隔離して厳正なる団体生活を通し精神訓練を施すことが急務と認められるから、これと同趣旨の原決定はまことに相当であり記録を精査するもこれを取消さねばならない不当のかどあることを認めることが出来ないので、本件抗告は理由がない。
仍て少年法第三十三条第一項少年審判規則第五十条に則り主文の通り決定する。
(裁判長裁判官 高原太郎 裁判官 吉田信孝 裁判官 中村莊十郎)